取材記事
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/98776.html
ディーセント・ワーク*の実現
長時間労働をなくし、生活時間を増やせるような働き方への転換を世田谷からすすめます。同一価値労働同一賃金の原則に立ち、非正規雇用、個人事業主やフリーランスなどの不安定な立場で働く人の待遇を改善します。
柔軟な働き方の推進
区内の空き家等を活用したワークプレイスを創出し、“Work from anywhere”を推進します。生理やPMS(月経前症候群)、不妊治療、子育て・介護、地域活動への参加などの理由で取得できる「ライフサポート休暇」の導入をすすめ、誰もが休暇を取得しやすい就業環境を当たり前にします。
どんな理由があっても、暴力は絶対に許されないことです。地域の相談支援サービスを拡充し、多様なニーズに応えるシェルターの整備をすすめます。職場におけるあらゆるハラスメントをなくします。
自分のこころとからだを大切にできることは、他の誰かを大切にすることにもつながります。年齢に応じた包括的性教育をすすめます。
らぷらすの拠点を増やし、性や身体のことを身近な場所で安心して相談できるようにします。区内クリニックでピルやIUS(ミレーナ)を利用しやすくします。
区独自の給付型奨学金制度を大幅拡充し、家庭環境に関係なくすべての子どもたちが学べる道をつくります。
子どもの声を聴き、子どもの最善の利益を守る児童相談所の支援体制を整えます。里親制度の周知普及など、区における社会的養護をさらにすすめます。
ひとり親世帯や困窮世帯への家賃補助の制度をつくる等、居住支援をすすめます。「公的保証人制度」を導入し、賃貸契約やスマートフォン通信回線の契約、入院時の身元保証人等、生活に困窮する世帯を支援します。
激甚化する気候災害に対する備えを充実させます。50年、100年先を見据えた対策を進めるための「世田谷区気候変動適応計画」を策定し、災害対策だけでなく健康や都市計画などを視野に入れた対策を進めます。
ヨーロッパや国内の先行自治体の取組事例を参考にしながら、世田谷区で「気候市民会議」*を実施します。
高齢になっても健康で安心して暮らせるように、低年金額で暮らす人、老老介護と仕事の両立に困難を抱える人、コミュニティに居場所が無い人などへの相談と支援を拡充します。また、高まり続けるニーズに応じた介護保険サービスの充実化をはかります。
都市計画には必ず女性や高齢者、障がいのある方の視点を入れ、車優先の街づくりから、バリアフリーでインクルーシブ、そして気候災害にも強い、人優先の安全なまち(ヒューマンスケールの街)へ変えていきます。また、子どもも大人もみんなが使いやすい区立図書館をつくります。
政治はどこか遠くでエライ人がやってくれるものではなく、わたしたちが生き、ほしい未来をつくるためのツールです。ツールの使い方を学べるように、主権者教育をすすめ「子ども・若者議会」などのしくみをつくります。
議会中継・録画映像に字幕をつけ、見やすくします。年に4回の定例会と予算・決算特別委員会だけでなく、私たちの生活に直結する幅広いトピックを扱う常任委員会についても録画映像の公開をします。議員→区への一方通行な質問だけでなく、議員間の積極的なディスカッションを当たり前にできるように、議会改革を進めます。
世田谷区の外国籍住民は増えています。ともに生きる市民として誰もが区政に声をあげられるように「自治基本条例」をつくり、住民投票などの際に外国籍住民も投票ができるしくみをつくります。
「世田谷区多様性を認め合い男女共同参画と多文化共生を推進する条例」を普及・発展させ、個人の努力で変えられない属性(年齢、性別、性自認・性的指向、障がいの有無、国籍・民族など)に基づく、あらゆる差別や偏見をなくします。
日常生活の中から「日本国憲法」が掲げる平和主義を実践し、守ります。
気候民主主義の考え方に基づき、近年欧州を中心に取組みが進められている「気候市民会議」について質問し、新規事業化されることになりました。
──2023年6月・令和5年第2回定例会一般質問、2024年2月・令和6年第1回定例会
2024年度予算要望で提案した『助産師と連携して実施している「いのちと性の健康教育」は、実施校を従来の希望制から、中学1~3年のどこかで必ず1回は受講できる形に変更する』が実現。助産師と産婦人科医の協力を得て、新たな「出張リプロダクティブ・ヘルス/ライツ講座」を全区立中学校で実施し、すべての生徒が在籍中に1回は受講できるようになりました。
──2023年11月・2024年度予算要望(文書提出)
2023年11~12月に実施された「若者調査」では、奨学金や学費負担の状況、アルバイトで得た収入の使途等、従来なかった質問項目が新たに追加され、若者の生活困窮の実態が明らかとなりました。
──2023年6月・令和5年第2回定例会一般質問
■1992年9月19日 静岡県東部、富士山の麓に生まれる。
■1997年 両親の離婚により母の実家がある函南町へ転居。母と祖父の3人暮らしが始まる。
■1999~2008年 義務教育9年間の間に、大人しく気弱ないじめられっこから生徒会長まで経験。学校では優等生キャラとして過ごしていたが、10歳の時に祖父が肺がんで他界すると、家では日常的に母からの身体的虐待・心理的虐待を受けるようになる。
■2008~2011年 静岡県立韮山高校
在学中は陸上(中長距離走・駅伝)と勉学に日夜明け暮れる日々を送る。
高校2年の時に、職業体験セミナーでOBから開発途上国支援の仕事について話を聴いたことをきっかけに、世界で困っている人たちのために働きたいと考えるようになる。
*韮山高校陸上部の仲間たちと
*全国高校駅伝東海予選にてアンカー区間を走る
■2011~2017年 日本学生支援機構の奨学金を借りて、横浜国立大学・大学院に計6年間在籍し、経済学を修める。学部時代は国際経済や開発経済学、大学院時代はミクロ計量分析を用いた実証研究を中心に取り組む。
大学での学びに加えて、模擬国連の活動、フランスへの1年間の交換留学、ラオスでのインターン等をしながら、海外での途上国支援を専門とする「開発コンサルタント」を目指す。カーボンオフセットや植林事業などを手掛ける環境コンサルティング会社でのインターン経験を通じて、環境・気候変動対策分野に関心を持つ。
*模擬国連日吉研究会17期の同期メンバーと
*パクセーに1か月滞在し、ラオス南部5県を対象としたODOP(一村一品)プロジェクトに関わる
学生時代、国内外を問わず日常生活の中でしばしば性暴力被害に遭うが、性教育を受けていなかったために被害と認識できず、「忘却」という手段をとることでサバイブする。
■2017年4月 株式会社オリエンタルコンサルタンツグローバルに新卒入社
入社後3年間は、独立行政法人国際協力機構(JICA)の技術協力プロジェクトをはじめとする気候変動対策・環境管理案件に従事。パリ協定の実施に向けた気候アクション促進を目的として、ASEAN諸国の政府職員を対象とした国際研修の企画・実施等を支援する。
*タイのカウンターパート職員の能力強化を目的として、キャパシティアセスメントの個別インタビューを実施している様子
*会社の人たちと食事会
■2021年10月 1年間の休職を経て、コンサル部門から総務部へ異動。まずは自分が身を置く社内から少しずつでも変えていきたいと考え、社内の業務効率化や就業問題改善などに取り組むほか、ジェンダーをテーマにした自主勉強会を主催する。
■2022年4月 パリテ・アカデミー主催「女性政治リーダー・トレーニング合宿」を受講。受講を通じてエンパワーされる経験を得るとともに、“政治家になる”というオプションが急浮上する。その後も、自分の会社や政治の現場、激動する国際社会の動向を見ていて、女性が意思決定の場にいなさすぎることの深刻な弊害を痛感し続け、わたしたちの生活に一番身近で、かつ重要な地方政治の場で、自ら手を挙げることを決意する。
*「女性政治リーダー・トレーニング合宿」を無事に修了
*パリテ・アカデミーアラムナイ(修了生) の皆さんと
■2022年10月 政治活動に専念するため、会社を再び休職。世田谷・生活者ネットワークに加入し、政策委員として活動を始める。
■2023年4月 世田谷区議会議員選挙に立候補。6,682票をいただき初当選。
■2023年5月 世田谷区議会議員として活動開始!
ネオリベ自己責任論×個人主義者 が フェミニスト×政治家 に転身?!
どういうこと??と思われた方も多いでしょう。正直、わたしもそう思います。
だって、本当につい最近まで、わたしは政治に一ミリも関心のない社畜だったんですから。頑張って働いても給料は下がり続ける複雑怪奇な世の中で、“失われた30年”とかいって生まれてからの人生まるごと無かったことにされても、好きでなったわけでもないのに“ゆとり世代”と散々叩かれても、政治家のオジサンたちに『女性は産む機械』だなんだの言われてもなお、政治はわたしにとって「関係ない」ことだったのです。
きっかけは、2020年の冬、ロックダウン真っ只中のロンドンで偶然フェミニズムに出会ったことでした。この社会は(一部の)オトコ仕様につくられていること、そして今も性差別は根深く存在していることを知り、膝から崩れ落ちました。でも同時に、フェミニズムは“The personal is political”(個人的なことは政治的なこと)という考え方と「言葉」という武器をわたしに与えてくれました。
その当時、会社を休職して夫の大学院留学に帯同していたわたしは、勉学で忙しそうな夫を横目に、良き妻であろうと毎日もがいていました。元々料理は得意じゃないしむしろ嫌いでしたが、『夫のお金で生活させてもらってるし、このくらいやって当然だよね…』と自分に言い聞かせてキッチンに立ちました。でもなぜか日に日に辛くなっていって、ある時、勇気を出して夫との対話を申し込みました。社会が押し付けてくる‘見えない誰かの意見’ではなく、自分自身の言葉で気持ちを伝えて、対等な立場で話し合いました。その結果、炊事担当は交代制に変わったのです!わたしにとって生まれて初めて、政治がジブンゴトになった瞬間でした。
…え?『でも現実には政治は、いい家に生まれて頭がよくてお金持ちでなんかエライ人たちの専売特許でしょ?そういう人たちにお任せしておけばいい』?そうだとしたら、一体どうして今「生きる」という当たり前のことがこんなにも大変になってしまったのでしょう??
わたしは、政治がいまだに一部のオジサンたちに独占されていることが一番の問題だと思います。権力を持つオジサンたちは、多くの場合、わたしたちが持っている様々な「視点」を持っていません。当事者の視点が無ければ、そもそも問題が見えなかったり、見えてもとんちんかんな解決法を持ち出してきたりします。だからこそ、オジサンたちが作った現状を変えるためには、大事な物事を話し合ったり決めたりする場に、多様な人が参加することが重要だと思うんです。
ちなみに、わたしが住んでいる世田谷区は、92万の人口のうち12万以上(約14%)を20代、30代の女性が占めています。これを読んでくれているあなたやわたし、日々を必死に生きている女性たちです。でも、そんなわたしたちの暮らしに直結する様々なことを決めている世田谷区議会には、20代、30代の女性議員は一人もいません。わたしたちの「叫び」は議会の場に届いているでしょうか?
もういいかげん、わたしたちのことをわたしたち抜きで決めるな!と、みなさんと一緒に本気で怒りたい。ジェンダー平等や気候変動問題、どんなに大きな課題だって、わたしたちが生きる地方自治体の現場から絶対に変えていける。今を生きるみんなが持っている「#わたしの視点」が、未来を今よりずっと素敵なものにする、そう信じています。
まだ希望を捨てたくないあなたへ。人と人との絆の可能性を確かめながら、ここ世田谷から、いっしょに変えていきませんか?